こんにちは。会田です。(@saku5433)
世の中には古典と言われ、時代を超えて読み継がれる名書が数多く存在します。例えば、経済学ならマルクスの資本論、経営理論ならドラッカーのマネジメント、戦略論ならマイケル・ポーターの競争の戦略、漢の中の漢を学ぶなら北斗の拳….あ、違うか。
これらの古典が今の時代まで読み継がれる理由は、不変の真理・物事の原理原則が学べるから。そして、儒教の教えである五常の徳(五徳)もまた、時を超え学び続けられる世の中の原理原則を説いた教えです。
人生もビジネスも原理原則を重んじる人は大成し、おろそかする人は小さな成功しか収めることができません。
目次
1.五常の徳(五徳)とは
五常の徳とは、儒教が定めた正しい行いや振舞い考え方です。仁、義、礼、智、信を五常の徳(五徳)と言い、仁、義、礼、智を正しく行うことで信が得られるわけです。次の図を見てください。
これは五常の徳を表した図で、縦が精神世界、横が現実世界を表しています。精神世界には礼と智、現実世界には義と仁、そしてこの4つの要素が組み合わさって信となります。では、それぞれの言葉にどんな意味があるか詳しく説明しますね。
1-1.仁(徳)
仁とは、思いやり・優しさです。最大限の慈しみを持って人と接することを意味しています。思いやり・優しさって何でしょうか。わかりやすく言うと、「目の前の相手に良くなってもらいたいと思い接すること」が仁です。
仁の思いやりと優しさは、甘かすこととは違います。本当に相手のことを思うのであれば、時には突き放すことも大事だし、厳しく接することも必要です。人を甘やかし、欲しいものを何でも与えることは、簡単に人を駄目にします。そうじゃなく、相手の成長を願って接することが“仁”という言葉の本当の意味なんですね。
ちなみに、“自分さえよくなればいい”という利己的な考えを持っている人は、目の前の人を自分の都合に合わせようとします。わかりやすいのが、相手を変えようとする考え方。敢えて言う必要もありませんが、他人を変えることはできません。変えられるのは自分だけ。他人を変えようとする人からは、人が離れていく。
当たり前ですよね、自分がよくなりたい。自分さえよければいい。という考えからは何も生まれない、どう考えても道理に合わないのです。
ここ数年、SNSの普及によって、こうした利己的な考え方がさらに加速しているように感じます。たとえば、「1日たった10分で稼げる」「最短で稼ぐ方法!」といった効率ばかりを強調するメッセージを目にすることはありませんか?一見すると魅力的に思えるこれらのメッセージの裏側には、「とにかく自分が稼げればいい」「自分さえ得をすればそれでいい」という利己的な欲望が潜んでいる場合が多いのです。
しかし、本来大切なのは、自分のことを考える前に「相手がどうすれば良くなるか」を考える姿勢です。たとえば、「この方法で本当に相手に価値を提供できるだろうか」「どうすればあの人の役に立てるだろうか」という問いかけを自分にすることが、本来あるべき仁の心です。
利己的な考えに基づく行動は一時的な結果を得るかもしれませんが、それが長続きすることはありません。真に人に価値を提供し、相手を思いやる行動が、結果として自分にも幸せをもたらす道理にかなった生き方なのです。
1-2.義(徳)
義とは、陰でコソコソしない。嘘を付かない。そして、仁義を尽くすことです。仁義とは、人として道徳上の守るべき道。
義理堅いとか、義理を欠くというのもこの“義”という言葉からきています。義理を欠く行為とは、世話になった恩を忘れ、相手の好意を無下にすること。道理から外れることを意味します。まぁ、わかりやすく言えば裏切り行為です。胸を張って堂々とできない。義理を欠く人の特徴として、損得勘定というものがあります。自分が得をするか損をするかで物事を判断する人に、“義理”という感覚はないのかもしれません。
ここで言いたいことは、例え自分が損をしても相手の恩を忘れてはいけない。後ろ指を指されるようなことはするな。ということ。人は、嘘や迷いがあるとエネルギーが弱くなります。100%のエネルギーを発揮できないんです。
目先の利益を得るために嘘をつくと、たとえ小さな嘘であっても、それを繰り返すうちに無意識のうちに自分自身への信頼が薄れていくものです。「自分の人生を変えたいけどなかなか行動できない」「どうしても自信が持てない」という人は、一度自分の言動に嘘がなかったか振り返ってみると、何かしらの気づきが得られるかもしれません。
逆に、嘘をつかず、義理を通すことを心がけていると、長期的には心が揺らぐことがなくなります。たとえ価値観の合わない人から批判を受けても、動じることがなくなるのです。義理をしっかりと守る習慣が身につくと、自分の発言や行動に自信が持てるようになります。自分自身が「嘘のない状態」であることが、ぶれない強さを生み出すのです。
どうですか?少しイメージが湧いてきたでしょう?
ビジネスの世界でも同じです。どんなに小さなことでも義理をしっかりと通すことで、信頼が積み重なり、やがて大きな仕事が舞い込んでくるようになります。逆に、小さな約束を守れない人には、大きな仕事を任せることはできません。大きな仕事ほどリスクも高く、社会的な信用が必要だからです。
日々の行動の中で、「この人に大事なことを任せても大丈夫だろうか?」と他人から見られていることを意識してみてください。それが、義を通す生き方の第一歩になります。
だからこそ、目の前の小さなことを一つひとつ丁寧にやり遂げることが大切なんです。その積み重ねによって、「この人なら信用できる」と思われ、次にはさらに大きな仕事が任されるようになるわけです。こうして義理を通し続けていくことで、取引相手や取引の規模、責任の重さ、さらには社会的な影響力までもが次第に大きくなっていきます。
言い換えると、義理を通す行動は、あなた自身の信頼や評価を自然と高め、周囲から「この人に頼れば大丈夫だ」と思われる存在になれる、ということなんですね。こう考えると、義理を大切にすることがどれだけ重要なのか、少しイメージが湧いてきたのではないでしょうか?
1-3.礼(徳)
“礼”これは礼儀を指します。他人に対する接し方ですね。
あなたが、心の底から尊敬する人を頭に思い浮かべてください。その人に接する態度と、目下の人に接する態度に違いはありますか?もし違いがあるなら、礼に対する正しい理解が必要です。孔子に言わせると、人に優劣はない。それなのに、なぜ差をつけるのか?ということです。
“礼”がもっとも現れやすいのは目下の人と接している時。目上の人に礼儀正しく接するのは当たり前なので誰も気にしませんが、目下の人に接する時の態度は人に見られていることが多いです。例えば職場では、部下や下請け会社に対して、どんな言葉使いか、どんな態度か、電話の会話1つからでも礼儀のある人なのかどうかがわかりますよね。
この“礼”は、人を判断する時にも使えます。目上の人にひどく媚びる人は、目下の人に強く接する傾向があります。そして、「ありがとう」と言えない人が多い。なぜなら、してもらって当たり前だと思っているから。
余談ですが、「ありがとう」の言葉は仏教からきています。ありがとうを漢字にすると、「有り難う」と書きます。これは、「有る」ことが「難しい」という意味。あり得ないと言えばわかりやすいでしょうか。いま目の前で起きていることは、あり得ないこと、滅多に起きないこと。という意味になります。人として生を受け、いまこの瞬間を生きていることは、宇宙規模で考えると本当に奇跡としか言いようのないことなんです。
つまり、相手に何かをしてもらうという行為は、あり得ないことであり、めったにないことなんですね。
ここで大切なのは、すべての人に対して、自分が最も尊敬する人と同じように関わることです。目上だから、目下だからと態度を変えるのではなく、どんな相手にも同じ礼を持って接する。それが礼を通すということなのです。
礼儀は、相手への敬意を示すだけでなく、自分自身を高めるための大切な徳です。一人ひとりに対して同じ姿勢で接することで、自然と人間関係が円滑になり、信頼を得られるようになります。そして何より、自分自身も心豊かに生きられるようになるのです。